カラフルな魔女

「いちご色」の家に住んでいるカラフルな魔女

カラフルな魔女といえば、魔女の宅急便の作者の角野栄子さんです。

私は、角野栄子さんが大好きです。

もちろん、魔女の宅急便も知っていますし、絵本なども子供が小さい頃は、図書館で借りてきて、読み聞かせをしたりしました。

ても、角野さん本人の事はよく知らなかったんですね。
たまたま、eテレで角野栄子さんの番組があるのを知って、番組を録画して見ていました。
「いちご色」のお家に住み、身につけるものもカラフルで、可愛らしくて。
私の母親と同年代なのに、“スンスン”(私の中では爽快に歩いてるような表現のつもりです)と歩いて散歩をされていて、お召になってるワンピースがまたとてもお似合いで、可愛いらしいんですよ。(私なんかが言うのもなんですが…)

今年の1月に、「カラフルな魔女〜角野栄子の物語が生まれる暮らし〜」という映画が公開されていましたけれど、私は、見に行けませんでした。

角野さんは、幼少期は戦時中だったこともあって、苦労されたそうですが、そこから解放されて自由を手にいれた時、「人と違ってもいい、自分の好きなものを大切にする!自分がなりたい大人になろう!」、そう決意したそうです。

今の角野さんは、ほんとうにそれを貫いて生きていらっしゃると思います。

映画のナレーションでも語られてましたが、「あそぶように暮らし、あそぶように書く」そのままに。


この間、片付けしていた時、1冊のノートが目に留まり、パラパラめくっていたら、15年前に私の書いた文章を目にしたんです。

子供のために生きていく、そのためにがんばる…というような事を書いていました。

15年前と、いま…。

15年、何も変わらずあっという間に過ぎてしまっていたんですね。

今までやってきた事ってなんだったんだろう。良かれと思ってやってきたことは、ただの自己満足ではなかったのか…と、
最近、ほんとうに、その事を考えさせられています。

「子供のためにがんばってる自分」をがんばって見ているだけだったんじゃないかとさえ、思えてきて。

角野さんのように、まずは、なりたい自分とは何なのか、今からでも考えてみたいと思います。

カラフルじゃない魔女

私の母親も、幼少期は戦時中で、戦争後も、大変苦労したと、話をよく聞かされました。長女だったので、まだ若いときから一家の働き手として、家の仕事、製造の仕事などもやったと聞いています。

私の父親は事故のために、41歳でなくなり、それから母は、女手一つで私達兄弟を育ててくれました。
子育ての大先輩です。
私から見た母は、こころもからだも強い人です。
からだも自分で思うように動かせなくなってきてはいますが、元気でいてくれて、少しずつですが、畑仕事をしている姿を見るだけで、私に「元気になる魔法」をかけてくれます。

ぜんぜん、カラフルじゃない、「地味な魔女」ですけども。